The Piano Sound

 先づ第一に、これからの戯曲は文学としての評価に甘んじてはなりません。これは既に云ひ尽された議論であるかの如く見えますが、所謂「舞台的」といふ言葉が、もう一度吟味されてからのことです。
 次に、これからの俳優は、所謂「演出者」の傀儡でなく、この点、もう一度「新劇以前」への逆戻りであつてかまひませんが、先づそれぞれ人間としての特殊な魅力を養ふべきです。
 更にまた、これからの演出者は演出者である限り、俳優の「領分」に立ち入つてはなりません。それよりも、俳優に自分の「領分」を荒されないやうにすることが肝腎であります。
 最後に、これからの観客は「面白くないもの」をはつきり面白くないと云つてかまはないでせう。欠伸を噛み殺して徒らに感心する必要はないのです。その代り、面白かつたら、遠慮なく盛んな拍手を送り、俳優に俳優たるの幸福を満喫させていたゞきたい。これはこれからの演劇のために、一般が与へ得る唯一無上の協力であります。

 ブリオシユは、カステラとパンの混血児みたいな菓子だが、舌ざわりは天下一品である。マロン・グラアセは栗の砂糖漬で、日本の甘納豆に当るだらう。元来、栗はシヤアテエニユといふのだが、料理や菓子に使はれる時に限つてマロン即ち「マロニエの実」を云ふらしい。マロニエの実は、ドングリの如く普通食へないものとなつてゐる。
 序に、日本でシユウ・クリイムと呼んでゐる菓子は、英国へ行つても仏蘭西へ行つてもその名前では通用しない。英吉利でシユウ・クリイムを持つて来いと云つたら、靴墨を持つて来たといふ落噺もできてゐるくらゐだ。僕の判断では、この名前は恐らく、仏蘭西のシユウ・ア・ラ・クレエムから来てゐるのだらうと思ふ。シユウは玉菜のことだ。キヤベヂの形をしてゐるといふ意味だ。英語のクリイムは仏蘭西語でクレエム、前置詞と冠詞は日本流に省いて、シユウ・クリイムといふ新しい言葉ができたわけである。

 先づ最初にあげたいのは、女医小川正子さんの手記「小島の春」である。もう大ぶん前のことだが、何気なく家人がそれを読むのを聴いてゐるうちに、私は、これはえらい本が出たと思ひ、感興の深まるにつれて、この本は是非日本の多くの人に読ませたいといふ気になつた。私は暇を得て、それをもう一度読みなほしてみた。ところが、あるところまで読みすゝんで行くと、私は文字どほり泣かれてしまひ、それも、ひとところふたところといふのではなく、ほとんど読み終るまで涙を拭くひまがないくらゐであつた。こんなことは私は未だ嘗て経験したことはない。尤も、たまには、下らぬ芝居や講談などでつい涙ぐむやうなことがあると、きまつて後で腹のたつことうけあひで、さういふ効果をねらつた一切のものを私は排撃して来たのである。しかし、私は断言するが、この「小島の春」からうけた強烈な印象は、決してさういふ後口のわるいものではなく、寧ろこの感動の純粋さは、自分の心がたえず求めてゐる素朴さをやつととりかへした証拠だといふ風にみたのである。
著者の「後記」はこんな文句ではじまつてゐる。

 
 
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