蒲原有明

 わたくしが長谷川二葉亭氏の名を知りはじめたのは「國民之友」に出た「あひびき」からである。明治二十一年の夏のころであつたが、わたくしは未だ中學の初年級であり、文學に對する鑑賞力も頗る幼稚で、その頃世間にもてはやされてゐた「佳人の奇遇」などを高誦してゐたぐらゐであるから、露西亞の小説家ツルゲーネフの短篇の飜譯といふさへ不思議に思はれ、ただ何がなしに讀んで見ると、巧に俗語を使つた言文一致體――その珍らしい文章が、これがまたどうであらう、讀みゆくまゝに、わたくしの耳のそばで親しく、絶間なく、綿々として、さゝやいてゐるやうに感じられたが、それは一種名状し難い快感と、そして何處かでそれを反撥しようとする情念とが、同時に雜りあつた心的状態であつた。
 さてそれを讀み了つて見ると、抑も何が書いてあつたのだか、當時のうぶな少年の頭には人生の機微がただ漠然と映るのみで、作物の趣旨に就ては一向に要領を得なかつた。それにも拘らず、外景を描寫したあたりは幻覺が如何にも明瞭に浮ぶ。

 島崎氏の「若菜集」がいかに若々しい姿のうちに烈しい情※[#「執/れんが」、399-上-7]をこめてゐたかは、今更ここに言ふを須ゐないことではあるが、その撓み易き句法、素直に自由な格調、從つてこれは今迄に類のなかつた新聲である。予がはじめて「若菜集」を手にしたをりの感情は言ふに言はれぬ歡喜であつた。予が胸は胡蝶の翅の如く顫へた。島崎氏の用ゐられた言葉は决して撰り好みをした珍奇の言葉ではなかつたので、一々に拾ひ上げて見れば寧ろその尋常なるに驚かるゝばかりであるが、それが却て未だ曾て耳にした例のない美しい樂音を響かせて、その音調の文は春の野に立つ遊絲の微かな影を心の空に搖がすのである。眞の歌である。島崎氏の歌は森の中にこもる鳥の歌、その玲瓏の囀は瑞樹の木末まで流れわたつて、若葉の一つ一つを緑の聲に活かさずば止まなかつた。かくして「若菜集」の世にもてはやされたのは當然の理である。

若葉のかげ

薄曇りたる空の日や、日も柔らぎぬ、
木犀の若葉の蔭のかけ椅子に
靠れてあれば物なべておぼめきわたれ、
夢のうちの歌の調と暢びらかに。

獨かここに我はしも、ひとりか胸の
浪を趁ふ――常世の島の島が根に
翅やすめむ海の鳥、遠き潮路の
浪枕うつらうつらの我ならむ。

半ひらけるわが心、半閉ぢたる
眼を誘ひ、げに初夏の芍藥の、
薔薇の、罌粟の美し花舞ひてぞ過ぐる、

艶だちてしなゆる色の連彈に
たゆらに浮ぶ幻よ――蒸して匂へる
蘂の星、こは戀の花、吉祥の君。